③バストゥーク黄金時代(868年)
◆ 868年
868年はプリーン国最盛の年であった。アンティカ族(レギナ国)と一時休戦したプリーン国はドラギーユ国に侵攻、868年にはロンフォールの森までドラギーユ国を追い詰める。アンティカ族は西のタブナジア半島を占拠し、タブナジア国はアンティカの侵攻に悩まされる。
◆ ドラギーユ国苦難の10年
ドラギーユ国は北進するプリーン国共和軍団を防ぎきれず、866年にはフェンブルール城が陥落、各地方の在郷騎士団との兵站線を絶たれることとなる。シャドーロード軍と戦っていたミュゼルワール・B・アンシェル元帥率いる王立騎士団は北の地に孤立し、ブラドホッド国のオーク軍と挟まれ孤立無援の戦いへ、フェルドロッド・I・ルーアン率いるノルバレン騎士団はラヴォール村で完全に孤立状態となる。さらに、プリーン国はドラギーユ国皇太子イジドール・R・ドラギーユも討ち取り、王都に迫る勢いで侵攻する。亡国の危機に神殿騎士団フェブルナルド・C・ブリュノー卿が元帥に昇格、王都防衛にあたりプリーン国をなんとか撃退する。これから10年はプリーン国から王都を死守するが他に余力もなく、ドラギーユ国にとって苦難の10年となる。この少し前、ドラギーユ国宰相ペリデューク・M・ロシュフォン卿が高齢のため病死しており、宰相の座は後にブリュノー卿が宰相となるまで空席となるなど、王都には人材も乏しかった。
◆ 黄金時代
一方のプリーン国は、アンティカ族との融和路線が成功し、背後のクゥダフ族(ザ・ダ国)も撃退し後背の憂いがなくなったため、満を持してドラギーユ国に侵攻したのであった。ドラギーユ国は北と東に強大な獣人軍を控えており、戦力を分散せざるを得ない。勝敗は戦略レベルで既に決していたとも言える。プリーン国では、主にこの戦略を主張した主戦派のクララ・ベスター元帥がフェンブルール城攻略の功績により宰相に抜擢され、共和国の命運を託される。870年頃まではプリーン国は拡大の一方であり、黄金時代であった。しかし黄金時代は長くは続かない。敵は第3の方角から現れたのである。
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