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2009年5月24日 (日)

③アンティカの侵攻(863年)

◆ 863年

アルタナ連合と獣人軍の戦いは、連合軍が各地で獣人軍を撃退、東のミンダルシア大陸ではスター国が獣人軍のシシュ国相次いで撃破し、各地で勝利の凱歌があがっていた。そんな折、西のクォン大陸では南西のゼプウェル島から獣人アンティカ(レギナ国)が侵攻する。プリーン国がこれを迎え撃つが、バルクルム会戦で大敗を喫する。

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◆ 3国vs獣人軍

大戦開始時は圧倒的な軍事力を持っていた各地の獣人軍であったが、序盤の戦いでは連合軍の善戦により、獣人軍は各地で撃退された。

この頃のドラギーユ国の重鎮は、ヴァレンラール・R・ダヴィル、イルヴォレール・I・クスロー両元帥である。元帥らが北のフォルガンディを堅守し、ブラドホッド国シャドーロード国の分断に成功していた。しかし864年にダヴィル元帥が戦死、クスロー元帥が高齢のためこの世を去ると、ミュゼルワール・B・アンシェルが元帥に昇格、麾下の騎士団を率い北の地は以前にも増して堅固に守られる。

スター国はカラハ=バルハの後をついで宰相に就任したロベル=アクベル麾下の戦闘魔道団を主力とし、シシュ国のヤグード軍と戦い連勝、ヤグードへの耐魔装備支給は阻止されたようである。シャントット院長も参陣し、ゾンパ=ジッパ、カイル=パイル、ルテテ、ペリィ・ヴァシャイら要職の将軍達も健在である。

プリーン国はバルクルム会戦でレギナ国に大敗、第3軍団長のギヌヴァ・インビンシブルシールド元帥とプリーン大統領嫡子のウィンルク元帥が戦死。さらに翌月、グウィル・ペイルイーグル宰相が謎の死を遂げ、国の柱となる人物を立て続けに失った。これ以降のプリーン国は、第一軍団長マクシミリアン・ベルガー、第二軍団長ルートヴィヒ・アイヒベルグ、ミスリル銃士隊長クララ・ベスターが元帥に昇格し、共和軍を率いてゆく。

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