テストプレイ③

2009年6月23日 (火)

ウィンダスの変 (879年)

◆ 879年

この月、全土を震撼させる事件がおこる。この事件は後に「ウィンダスの変」と呼ばれることとなる・・・

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スター国においてクーデターが勃発したのである。ロベル=アクベル宰相が首謀者となり、既に懐柔していた警備兵とともに、夜間、スター・ゲージホ=エジホ君主他、重臣達の邸宅を次々に襲撃、邸宅内にいたスター・ゲージホ=エジホ家一族は一人残らず殺害される。

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◆ スター国の滅亡

事件はまさに全土を震撼させた。全土統一間近であったスター国が、突然滅亡したのである。 素性が謎であるため、素行を怪しむ者もいたロベル=アクベル宰相であったが、ついにその本性を現す。首都の邸宅にあったスター一族は皆殺しとなり、首都勤務であった重臣クラスの将軍達はみな粛清の対象となった。ツシャ・ヴァシャイ大魔元帥、レコ=ハボッカ大魔元帥、さらにはカイル=パイル大魔元帥もこのとき粛清の対象となり殺害された。カイル=パイル大魔元帥は前君主のスター=シヴィルを人知れず暗殺した張本人であったが、非業の死を遂げ、真実がその口から語られる機会は永遠に失われた。

このとき地方方面軍にあり、本国の滅亡を知った司令官達は、すぐに方面軍を率いそれぞれの管轄地域の掌握にかかる。その中でも最大の勢力は、ガルレージュ要塞のペリィ=ヴァシャイ大魔元帥、

・・・

いきなりですが、めんどくさくなったので終了ですw

結末だけ書いときますと、このあとロベルも寿命で死んで、群雄割拠に逆戻り。最後はドラギーユ国を継いだトリオンが全土を統一しましたとさ。次世代の武将達が活躍しましたね。サンドリア史記だし、いいんじゃないでしょうか。

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2009年5月24日 (日)

③ウィンダス2(879年)

◆ 879年

スター国ロベル=アクベル宰相の采配により軍備を再編し、再びプリーン国に侵攻するが、

875年、異民族侵攻。シャフラフ・サッジャード率いるアトルガン皇国の軍勢約15万がスター国オンゾゾに上陸する。しかし878年には大陸から完全に撃退する。

879年、プリーン国首都コンシュタット陥落。プリーン国は滅亡し、その所領はスター国に帰属する。

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◆ アトルガン皇国軍の侵攻

877m_6 875年、アトルガン皇国は、この大陸の、海を隔てたはるか東にある大陸にある近東の国で、強大な軍事力をもつ国家である。862年~の水晶大戦には不干渉の立場を示していたが、強大になりつつあるスター国に対し、一軍を派遣してくる。スター国は一時はカルゴナルゴ砦まで侵攻を許したものの、遠路の強行軍はそこで限界に達し、やがてスター軍の反撃により各地で撃破され、878年には駆逐された。

 

◆ プリーン国の滅亡

スター国の圧倒的な物量とタルタル魔道師団・ミスラ傭兵団の連携戦術の前に、プリーン国共和軍団は戦線を維持できず後退を重ねる。ルートヴィヒマクシミリアンなど往年の名将も今は無く、グスタベルグ地方はほぼスター国の占領下に置かれた。

878年、プリーン国は軍団を集結し、クララ宰相自ら軍団を率い、第3次南グスタベルグ会戦で最後の迎撃戦に望む。ここを抜かれると首都コンシュタットまで無人の荒野であった。しかしクゥッジャ・ヴァシャイ侵攻軍の前に迎撃軍は惨敗を喫し、クララ宰相は乱戦の中で自らの命を絶った。

879年、スター国は君主ゲージホ=エジホ自ら軍を率い、プリーン国首都コンシュタットを包囲。大軍の前にアンシャラーラ城は抵抗虚しく陥落する。プリーン国には多くの名だたる大魔元帥が健在であったが、エリヴィラ、エリカ、クジャカは陥落を前に自らの命を絶ち、ザザーグ、バルトロメウス、ソニアとプリーン大統領は捕縛された後に処刑された。エリヴィラの嫡子であるルチローム・ゴーゴリ軍団長のようにスター国に下った将軍はごく僅かであり、その殆どは滅亡する自国と運命を共にした。

プリーン国の所領を併合したスター国は、ミンダルシア大陸の殆どとクォン大陸の半ば以上をその所領とし、全土統一は時間の問題と思える。プリーン国との戦争で新たに2名の将軍が大魔元帥の列に加わった。ヨラン=オラン大魔元帥レコ=ハボッカ大魔元帥である。ヨミ、ペリィ・ヴァシャイ、ロマー・ミーゴ、カイル=パイルを加え、6大魔元帥がスター国を空前の帝国へと導いてくれるだろう。誰もがそう思っていた。

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③ウィンダス1(~873年)

◆ 873年

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「突然の凶報が各地をまわった。スター国君主スター・シヴィルが変死したのである。何者かに暗殺されたのでは、と言う噂まで広まったが真偽は定かではない。」

東のミンダルシア大陸をほぼ平定し、大国となったスター国に激震が走った。スター国は西のクォン大陸を目指し、多くの魔道師団が海を越えプリーン国に遠征中であり、聖都が手薄になった間隙をついた凶事であった。君主の急死により、この年19歳になる長男のスター・ゲージホ=エジホが後継者として擁立されるが、17歳となる次男のスター・カレナ=トゥレナがこれに反発、しかしカレナ=トゥレナに従うものはごくわずかであり、一年後には鎮圧され、事態はゲージホ=エジホの元へ速やかに収束してゆく。

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◆ クォン大陸への遠征

スター国は、ロベル=アクベル宰相指揮の元、次々と敵軍を打ち破り、ミンダルシア大陸と南東のエルシモ島を領土とするのに多くの時間はかからなかった。その間、白羊戦闘魔道団長のルテテ元帥が戦死したのを除いては、元帥以上の将軍に死者はなく、人材面は充実する一方であった。この時点で大魔元帥は7人であり、シャントット院長を筆頭に、魔蠍戦闘魔道団長ゾンパ=ジッパ、宝瓶戦闘魔道団長カイル=パイル、アナコンダ傭兵団長ペリィ・ヴァシャイ、コブラ傭兵団長のロマー・ミーゴ、元ジュノ大公国で大公の弟エル'ドナーシュ・ジラート、元ギルガメッシュ国将軍のヨミ・キサラギ、と錚々(そうそう)たる顔ぶれである。

870年には、スター国プリーン国に宣戦を布告、遠征軍がバッフェル岬に上陸する。この頃、プリーン国は首都をコンシュタットに遷都しており、グスタベルグ地方の防備は比較的手薄であった。スター国軍はプリーン国共和軍団を次々と打ち破り、破竹の勢いで進撃する。

 

◆ 暗殺

星の神子、スター・シヴィルの急死は、プリーン国の奥深くに楔を打ち込んだ、まさにそんな時期であった。この凶報により遠征先の将軍達は急遽自国に帰還し、ヨミ大魔元帥のみが占領地の防備に当たるため残ることとなった。スター・シヴィルの急死は、病死なのか暗殺なのかも分からなかったが、その後の後継者争い、地方方面軍の反乱など変事が多発し内乱が相次いだため、結局真相は解明されないままうやむやとなった。だが、真実は暗殺である。その実行犯はカイル=パイル大魔元帥であった。しかし、カイル=パイル大魔元帥も後年になって非業の死を遂げるためその目的は定かではない。カイル=パイル大魔元帥自身の立場は殆ど変わっておらず、彼が心酔するロベル=アクベル宰相の権力が増したのみであった。この事件で誰が最も得をしたのであろうか。

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真実は歴史の闇の中である。

いずれにせよ、君主急死により長男のスター・ゲージホ=エジホが急遽その後を継いだが、それに従わない勢力がいくつか存在した。実弟のスター・カレナ=トゥレナがその一人である。彼は兄と違い人望もあり、知略も人より抜きん出ていた。歳もまだ若く、自分には何かができるとの確信があった。しかし、客観的に見ると自分が思っているほどの実力はなかったようである。反旗を翻したものの彼に従う臣下はごく僅かであり、数ヶ月後に自らの命を絶つこととなる。しかし、例え彼がいかに優秀であったとしても反乱は成功しなかったであろう。

スター国でも重鎮といえる将軍も反旗を翻していた。その筆頭がシャントット大魔元帥である。さらにゾンパ=ジッパ大魔元帥エル'ドナーシュ大魔元帥である。しかし彼らでも従う者は少なく、ロベル=アクベル宰相率いるスター軍によって鎮圧され、いずれの首謀者も処刑された。ゾンパ=ジッパ軍は、鎮圧されるまでにこの後5年ほど時間を要することとなるが、後に身を滅ぼす。結果的に、この内乱でスター軍シャントットゾンパ=ジッパ、エル'ドナーシュの3大魔元帥を失うこととなった。対照的に、ヨミ大魔元帥の軍勢はプリーン国の地で孤立するものの、本国が安定するまで占領した地をよく守り抜いたため、名声を得る。この内乱で最も名声を得たのは実直な彼女であろう。

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③バストゥーク黄金時代(868年)

◆ 868年

868年はプリーン国最盛の年であった。アンティカ族(レギナ国)と一時休戦したプリーン国ドラギーユ国に侵攻、868年にはロンフォールの森までドラギーユ国を追い詰める。アンティカ族は西のタブナジア半島を占拠し、タブナジア国アンティカの侵攻に悩まされる。

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◆ ドラギーユ国苦難の10年

ドラギーユ国は北進するプリーン国共和軍団を防ぎきれず、866年にはフェンブルール城が陥落、各地方の在郷騎士団との兵站線を絶たれることとなる。シャドーロード軍と戦っていたミュゼルワール・B・アンシェル元帥率いる王立騎士団は北の地に孤立し、ブラドホッド国のオーク軍と挟まれ孤立無援の戦いへ、フェルドロッド・I・ルーアン率いるノルバレン騎士団はラヴォール村で完全に孤立状態となる。さらに、プリーン国ドラギーユ国皇太子イジドール・R・ドラギーユも討ち取り、王都に迫る勢いで侵攻する。亡国の危機に神殿騎士団フェブルナルド・C・ブリュノー卿が元帥に昇格、王都防衛にあたりプリーン国をなんとか撃退する。これから10年はプリーン国から王都を死守するが他に余力もなく、ドラギーユ国にとって苦難の10年となる。この少し前、ドラギーユ国宰相ペリデューク・M・ロシュフォン卿が高齢のため病死しており、宰相の座は後にブリュノー卿が宰相となるまで空席となるなど、王都には人材も乏しかった。

 黄金時代

一方のプリーン国は、アンティカ族との融和路線が成功し、背後のクゥダフ族ザ・ダ国)も撃退し後背の憂いがなくなったため、満を持してドラギーユ国に侵攻したのであった。ドラギーユ国は北と東に強大な獣人軍を控えており、戦力を分散せざるを得ない。勝敗は戦略レベルで既に決していたとも言える。プリーン国では、主にこの戦略を主張した主戦派のクララ・ベスター元帥がフェンブルール城攻略の功績により宰相に抜擢され、共和国の命運を託される。870年頃まではプリーン国は拡大の一方であり、黄金時代であった。しかし黄金時代は長くは続かない。敵は第3の方角から現れたのである。

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③アンティカの侵攻(863年)

◆ 863年

アルタナ連合と獣人軍の戦いは、連合軍が各地で獣人軍を撃退、東のミンダルシア大陸ではスター国が獣人軍のシシュ国相次いで撃破し、各地で勝利の凱歌があがっていた。そんな折、西のクォン大陸では南西のゼプウェル島から獣人アンティカ(レギナ国)が侵攻する。プリーン国がこれを迎え撃つが、バルクルム会戦で大敗を喫する。

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◆ 3国vs獣人軍

大戦開始時は圧倒的な軍事力を持っていた各地の獣人軍であったが、序盤の戦いでは連合軍の善戦により、獣人軍は各地で撃退された。

この頃のドラギーユ国の重鎮は、ヴァレンラール・R・ダヴィル、イルヴォレール・I・クスロー両元帥である。元帥らが北のフォルガンディを堅守し、ブラドホッド国シャドーロード国の分断に成功していた。しかし864年にダヴィル元帥が戦死、クスロー元帥が高齢のためこの世を去ると、ミュゼルワール・B・アンシェルが元帥に昇格、麾下の騎士団を率い北の地は以前にも増して堅固に守られる。

スター国はカラハ=バルハの後をついで宰相に就任したロベル=アクベル麾下の戦闘魔道団を主力とし、シシュ国のヤグード軍と戦い連勝、ヤグードへの耐魔装備支給は阻止されたようである。シャントット院長も参陣し、ゾンパ=ジッパ、カイル=パイル、ルテテ、ペリィ・ヴァシャイら要職の将軍達も健在である。

プリーン国はバルクルム会戦でレギナ国に大敗、第3軍団長のギヌヴァ・インビンシブルシールド元帥とプリーン大統領嫡子のウィンルク元帥が戦死。さらに翌月、グウィル・ペイルイーグル宰相が謎の死を遂げ、国の柱となる人物を立て続けに失った。これ以降のプリーン国は、第一軍団長マクシミリアン・ベルガー、第二軍団長ルートヴィヒ・アイヒベルグ、ミスリル銃士隊長クララ・ベスターが元帥に昇格し、共和軍を率いてゆく。

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2008年10月 5日 (日)

Report③ アルタナの神兵編

◆ 862年

アルタナ+異民族侵攻バージョンで、また400年のプレイレポしてみようと思います。

862

・・・この広大なヴァナ・ディールに天晶暦という基準が誕生して、今年で862年を迎える。しかし、人類にとってヴァナ・ディールはなおも広大であり、この地全てが単一の国家によって当地されるという事実は存在しない。

この地に最も古くからある国家はタルタル族が治めるウィンダス連邦であり、その成立は294年である。385年にはエルヴァーン族のランフォル・ドラギーユがウィンダスからの独立を勝ち取り、サンドリア王国を建国した。494には、ヒューム族の鉱山労働者がバストゥーク共和国を建国した。以降の歴史は、3国の争いの歴史である。

しかし、860年に入ってから闇の王の噂が流れはじめ、獣人勢力の動きが活発化。そして862年、ついに闇の王が表舞台に現れ、人間諸国を滅ぼすべく戦線を布告、各地域は獣人軍との戦争状態となった。これに対し、ウィンダス連邦、サンドリア王国、バストゥーク共和国は歴史的なわだかまりを乗り越え、アルタナ連合軍を結成。獣人勢力との全面戦争に突入する。。。

というプロローグ。

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