テストプレイ②

2008年2月23日 (土)

テストプレイ②(終)

860年から初めて1293年まで、433年の歴史をだらだらと眺めて見ましたがデータオーバーフローになったのでここで終了にします。仕様上、400年くらいでオーバーフローになるようです。

400年の間に以下5つの帝国の興亡がありました。

①ティボー・V・メクリュの第1メクリュ朝

②アルバーニュ・V・メクリュの第2メクリュ朝

③エミール・M・デュヴァルの第1デュヴァル朝

④ウジェーヌ・M・デュヴァルの第2デュヴァル朝

⑤アドリオン・セルデンのセルデン朝

どれも4~5代くらいしか続かない帝国で、乱世の多い歴史だったかと思います。

イベント事は王位継承争い、讒言による謀反、宰相による王位簒奪など紹介できました。

あとクーデターとかあれば面白かったのですが、あれはめったに起こらないようです。

さて、歴代の将軍達の中で最も高名な人物をランキングする「名将列伝」というものが見れます。

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1位 烈武王、ティボー・V・メクリュ 名声445 <878~927>

2位 爆砕王、フェルディナン・K・ピエルネ 名声407 <904~956>

3位 巨人王、エミール・X・ブルボン 名声354 <1189~1244>

V・メクリュ朝の始皇帝が最も偉大な将軍として記録されたようです。2、3位には統一帝国の皇帝ではなく、帝国と争って敗れた側の王が入ってます。4位にはインビンシブルシールド152歳が入ってますね。

では、これでおしまい。また次回作で。

現在アルタナの神兵対応のシナリオを作成してますので、近いうちに更新できればと思います。

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2008年2月17日 (日)

テストプレイ②(1276年)

◆ セルデン朝ジュノ帝国の時代

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1214年頃、度重なる飢饉と疫病により各地方勢力が決起し、帝国からの独立を果たす。

4代皇帝マティアス・M・デュヴァルは無能ではなかったが、英傑ではなかった。

1241年、16歳のアドリオン・セルデンはグスゲン山の小国のセルデン国の大魔元帥に任ぜられるとほぼ戦わずしてグスタベルグ地方の併合に成功、1248年にはセルデン国宰相に任じらると瞬く間に各地域を制圧、1261年に後継者として国を司る頃にはほぼ世界を手中にしていた。

1276年、

魔王、アドリオン・セルデンは世界を統一、セルデン朝ジュノ帝国を建国する。

これまでの統一帝国はすべてエルヴァーン族によるものであったが、初めてエルヴァーン以外による帝国の成立である。

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2008年2月 9日 (土)

テストプレイ②(1153年)

◆ M・デュヴァル第2王朝の成立

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飛武王、ウジェーヌ・M・デュヴァルは全土を統一、M・デュヴァル王朝は復興された。ウジェーヌはM・デュヴァル第2王朝初代皇帝に即位する。ウジェーヌはデュヴァル家の遠戚でシプリアージュの曾孫であり、デュフルー改め皇族の姓デュヴァル姓を名乗っていた。

統一までの軌跡。

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1098年 ピエール・S・シャトノワ、帝都ジュノ占領。

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1119年 シプリアージュ・O・デュフルー勢力を拡大、ジュノ帝国を滅ぼす。

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1139年 元シャトノワ国重臣ゼター・ミスリルインテル、帝都ジュノ奪還。統一間近。

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1146年 デュフルー改め、パンジャマン・M・デュヴァルの反撃、帝都ジュノ占領。

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2008年2月 3日 (日)

テストプレイ②(1093年)

さらっと流すつもりだったけど、帝国の末路が面白かったんでちょっと書いてみます。

◆ 4代僭称皇帝の変

1000年続くかと思われる空前の帝国も、時間と共に腐敗し高潔さは失われた。臣下は派閥争いに勤しみ、凡庸な4代皇帝フェルナン・M・デュヴァルは側近の言いなりであった。

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1079年

帝国第一の人物、皇族のアントナン・M・デュヴァルは皇帝より無実の罪を着せられたため、ついにホルトトで起兵、4代皇帝を僭称する。彼は帝国最大の派閥を率いていたため、アントナンの軍勢は各地で合流を果たし瞬く間に大勢力となり、右腕のシプリアージュと共に帝都ジュノに進軍する。1081年、アントナンの軍勢はジュノの皇宮に迫り、包囲戦の末皇宮はついに陥落、皇帝フェルナンは自らの命を絶った。アントナンは4代皇帝を継承する。

しかし、簒奪政権も長くは続かない。

 

◆ 帝国の腐敗と滅亡

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1091年

皇帝の位は人を変えるようである。アントナンもまた、讒言により右腕だったシプリアージュ・O・デュフルーに無実の罪を着せ粛清せんとする。シプリアージュもまたアントナンと同じように、ギデアスで反旗を翻す。帝国は地方勢力を抑えきれなくなり、ノーグの方面軍を任されていた帝国重臣のピエール・S・シャトノワは、この期に帝国からの独立を宣言する。

1102年

既に帝国の威信は失われていた。5代皇帝ユルパン・M・デュヴァルはまだ若く、その実権をドブブ=ギブブ・レーゲンボーゲン宰相に握られていくのが誰の目にも明らかになる。

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この年、レーゲンボーゲン宰相ユルパンに皇帝の座を明け渡すよう迫り、ついに、ユルパンは皇帝位を譲り渡すことになる。ここに、70年続いたM・デュヴァル朝ジュノ帝国は滅亡する。

この後3年後にはレーゲンボーゲン皇帝も病死し、ユルパンは少数の臣下とともに再び帝国の再建を目指す。が、1117年、勢力を増し帝都を占領したシプリアージュ・O・デュフルー軍によってあっけなく捕らえられ、一族郎党もろとも処刑される。享年48才。

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無常。無情。

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2008年1月20日 (日)

テストプレイ②(1031年)

◆ 3大国時代

1016年

V.メクリュ朝第2ジュノ帝国は、ベステル国により滅ぼされる。4代皇帝、ヴィクトル・V・メクリュ皇帝は処刑され、第1王朝からのV・メクリュ家による統治は97年で終わりを迎えた。

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王家血統のルクレール国、グゾッソ反乱軍のデュリューイ国、オンゾゾの奸雄デュヴァル国の3国がジュノの都支配せんと、それぞれ版図を拡大していく。

◆ デュヴァル朝ジュノ帝国の成立

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1031年

飛旋王、エミール・M・デュヴァルはついに全土を統一、初代皇帝に即位する。デュヴァル朝ジュノ帝国始まりである。

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皇帝とその4人の息子は全員能力オール100近い天才、小国から引き抜いた宰相シャトノワもオール100近い天才。運もあり、地盤を固めてからはあっという間の制覇だった。

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2007年12月17日 (月)

テストプレイ②(998年)

乱世到来

第2メクリュ王朝の治世も長くは続かなかった。980年頃の大飢饉の際に住民の大叛乱が勃発。一旦はこれをほぼ鎮圧するが、

997年、

再び住民の一斉叛乱が勃発し、世は再び群雄割拠の時代となる。

2代皇帝サミュエル.V.メクリュジュノ帝国の王権復古はなるか。

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2007年12月 8日 (土)

テストプレイ②(971年)

◆ V.メクリュ第2王朝の成立

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951年

V.メクリュ朝ジュノ帝国は、終にメア帝国により滅ぼされる。

いくつかの国に分裂したジュノ帝国であったが、

西のフェルディナン.K.ピエルネ国

東のアルバーニュ.V.メクリュメア帝国

の2国の併合されていく。

 

次なる帝王の座を巡り、フェルディナン一族アルバーニュ一族は世界を2分しての、2王会戦が勃発する。

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971年

アルタナの女神は、アルバーニュ.V.メクリュに微笑んだ。K.ピエルネ一族は滅亡した。

V.メクリュ第2王朝の始まりである。

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初代皇帝・爆砕王アルバーニュは、帝都をジュノに遷都し、メア帝国改めジュノ帝国と改名、V.メクリュ家による治世は今しばらく続きそうである。

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複雑になってきたので、メクリュ一族の家系図。

クリルラには3人の子があり、それぞれ御三家のような地位にあった。長男の一族が皇帝一族、アルバーニュはこの一族であるが、皇帝を継げない立場であった。

フェルディナン.K.ピエルネの一族は、次男の家系である。3男の一族も独立するが、アルバーニュに滅ぼされる。

他に、シニャック家という皇族が存命している。

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2007年11月 4日 (日)

テストプレイ② (944年)

◆後継者戦争

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V.メクリュ朝ジュノ帝国の治世は、初代皇帝ティボーの死により8年で終わりを告げる。

2代皇帝の座を巡り、長男のジョゼッペ、4男のナポリオン、5男のジュストが対立、戦争に発展。勢力で勝る長男ジョゼッペが他勢力を鎮圧、実権を手に入れる。

◆ピエルネ一族の乱

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皇族のひとつ、K.ピエルネ一族が混乱に乗じ帝国から独立、フェルディナン.K.ピエルネを筆頭に帝国へ戦いを挑む。K.ピエルネ一族は剣聖王クリルラの次男の一族であった。

ジュノ帝国は、その後も地方勢力の叛乱が相次ぎ、鎮圧軍の動かない日はなかった。

944年頃には、国内の有力者である、

バストアのアムラン.V.メクリュ大魔元帥

メアのアルバーニュ.V.メクリュ大魔元帥

大バストゥークの†ギュー.オジ大魔元帥

オルデールのアルベール.スケフィクトン大魔元帥

の勢力が独立を宣言する。ジュノ帝国はコンシュタットのフェルディナン.K.ピエルネ含め、これらの勢力により包囲分断され、事実上、帝国の全土統一は終わりを迎えた。

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2007年10月 8日 (月)

テストプレイ② (920年)

◆ メクリュ朝ジュノ帝国の全土統一

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919年12月

実に60年の長きに渡る戦乱は、烈武王ティボー・V・メクリュの全土統一によって 幕を閉じた。V・メクリュ王朝の幕開けである。

剣星王クリルラは916年1月、統一をその目で見ることなく、57歳で病没した。

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(初期能力は人望88 知力58 武力95)

統一事業はその子、ティボー引き継がれる。ティボーはクリルラの長子であるため家督を継いだが、人望100、知力99、武力100という政戦両略の天才であり、彼なくして統一はなかったであろう。全土統一は彼のために残された頂であったようだ。。。

全土統一の功臣達。

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ミスタル家、M・オルシャー家、M・カフュー家など、サンドリア王国滅亡時からの功臣の家系も多い。シニャック家は王族の分家。

しかし、泰平の世では彼らの力は疎まれるが世の常。

2大陸を制覇した、古ウィンダス連邦のルンゴ=ナンゴ大魔元帥も、聖都に凱旋してすぐに弾劾され、失意の内に急死したという。

平和な時代はいつまで続くのか。これからは粛清の嵐が吹き荒れることでしょう。

ひきつづき眺めていきたいと思いますが、今後はもう少し大雑把にいきます。

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テストプレイ② (910年)

◆ クリルラ・V・メクリュの覇道

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包囲された状況から、わずか2年、、、メクリュ国は世界の半分を制圧する。短期間でここまで大きくなった理由は、クリルラ君主の人望が故。先の混乱で決起した地方勢力が相次いでメクリュ国に恭順、民衆に人気があるようだ。さらに、分断されていたサンドリアのアルセーヌ・ミスタルの軍勢、ロンフォールのティボー・V・メクリュの軍勢などとも合流し、以前にも増して大勢力となる。 

対抗できる勢力はヴァシャイ国タブナジア国くらいであるが、メクリュ国の覇道の前ではもはや敵ではない模様。

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